中日OB 戦後味わった野球の喜び94歳杉下さん「自分を見詰めて」

2020年06月27日 07:05

[竜速(りゅうそく)]

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dragons2017

引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1591197258/

1: 征夷大将軍 ★ 2020/06/04(木) 00:14:18.19 ID:1Rg1RH//9
戦前戦後の荒波を乗り越えてきた94歳の言葉が胸に響く。中日などで通算215勝を挙げた杉下茂さんは、野球人たちに向け「じっくり自分を見詰め、再開を信じてやっていくこと。その一言だと思う」。プロ野球の開幕日こそ決まったが、アマチュアを含む球界の本格稼働はなお見通せない。「フォークボールの神様」と呼ばれたレジェンドに「今、大切なこと」を聞いた。

夏の甲子園は1940年代に戦争の影響で中止や中断(当時は全国中等学校優勝野球大会)を余儀なくされたが、帝京商業(現帝京大高)に在学していた杉下さんも、これを経験した。卒業後はいすゞ自動車の前身で働き、軍に入隊して戦地へ赴いた。終戦後は中国で捕虜になり「野球なんて考える暇はなかった」と振り返る。

46年1月に帰国。一度は会社に戻ったが、東京六大学野球への憧れが捨てられず、明大専門部に入学して野球部へ入った。食糧難に加え、ブランクもあったが、「苦労しないよ。うれしかったもん。その気持ちの方が強かった」。野球をできる喜びに勝るものはなかった。

帝京商時代は肺を患うなど、「周りの5分の1ほど」の練習しかできなかったが、卒業後、体は丈夫になり、六大学で活躍してプロになった。それだけに「今、一番必要なのは肉体的にも精神的にも自分で自分を鍛えること。(乗り越えたら)いい面が出てくると思う。たくましくなってくるのではないかな」。野球ができない時間も、心掛け次第でいずれは生きてくると信じている。

現在は心臓や肺に持病があり、新型コロナウイルスを人一倍警戒して「ずっと家に閉じこもっている。かかったら致命傷だから」という。収束後に楽しみにしているのは、ロッテのルーキー、佐々木朗希投手の存在で、「とにかく速いボールを投げるのは魅力の一つ。見てみたいね、生で」。平穏な日常を待ち望んでいる。

◇杉下茂さんの略歴
 杉下 茂(すぎした・しげる)帝京商業(現帝京大高)からいすゞ自動車の前身を経て、明大専門部へ。49年に中日に入団し、3度の沢村賞を受賞。59年から2年間、選手兼任監督を務め、61年に大毎に移籍し、この年限りで引退。その後は阪神、中日で監督を務めた。通算215勝123敗、防御率2.23。右投げ右打ち。85年に野球殿堂入り。94歳。東京都出身。



JIJI.COM 2020.6,.3
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020060300203&g=spo

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