中日・落合年俸問題で中山球団社長が星野監督に不満 本紙記者への“事情聴取”に意外な反応

2020年05月26日 18:00

[竜速(りゅうそく)]

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dragons2017

引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1589338830/

1: 砂漠のマスカレード ★ 2020/05/13(水) 12:00:30.93 ID:B7gwFwc69
【球界平成裏面史(21)=中日・落合年俸問題(3)】
毎オフのようにあった中日・落合博満内野手の年俸問題は、平成2年(1990年)オフは大いにごたついた。本塁打王、打点王の2冠に輝き、年俸1億6500万円からの大幅アップを目指す落合と、4位に終わったチーム成績などからアップ額を抑えたい中日フロント。同年10月16日付の本紙は伊藤濶夫球団代表の発言を踏まえ、球団が落合問題に調停も辞さずの方針と報じたが、中山了球団社長は、そのサイド原稿の星野仙一監督インタビュー記事のほうにおかんむりだった。

 報道した翌日、記者はナゴヤ球場で中山社長から呼び出され“事情聴取”を受けた。「これは本当に星野が言ったのか」と。それは星野邸での単独直撃記事で、内容は別項の通り。「僕が聞きました。間違いありません」と記者が答えると、中山社長は一瞬、沈黙した。それから、ものすごい低い声で「そうか。それなら星野が、ちょっと言い過ぎだな」と言った。

 当時、落合の年俸は2億円の攻防といわれていた。星野監督もインタビューの中で暗に2億円は無理だろうと答えた。しかも「チームの主砲がすぐトレード候補としてマスコミに取り上げられることを情けないと思わないといかん」との強烈なコメント付きで…。中山社長はそれも含めて星野発言に不満だったようだが、記者にとってこの反応は意外だった。

 あのころの中日内は、こと年俸問題に関しては落合の考えに否定的な人が圧倒的に多かった。それを踏まえれば、伊藤代表の発言も、星野監督の発言も、予想通りといえば予想通りだったからだ。だが、状況は違っていた。そもそも球団の落合査定額は2億円を超えていた。

 最終的にこの問題は伊藤代表の本紙での“予告”通り、日本人選手初の調停にもつれ込み、決着は翌91年3月という長い闘いになった。球団査定額は5500万円増の2億2000万円。これに対して、落合の希望額は1億500万円アップの2億7000万円で、その差5000万円だった。

 情勢は当初から落合不利とみられていた。現在のプロ野球界では超一流選手の年俸1億円アップなど少しも珍しくないが、当時は考えられないほど破格なオレ流要求。球界内外から落合批判が飛び交った。もともと金銭面に関して貪欲なイメージがあった落合だが、それがさらにマイナスになった感じ。でも、オレ流はそれもどこ吹く風で、全く折れることなく調停に突き進んだ。そしてまた、こんな落合の年俸闘争が、その先の選手たちの年俸相場を上げていくことになる。オレ流行動の影響力はそれほど大きかったわけだ。

 時間をもう一度、90年10月に戻す。本紙が「落合脅される!! 中日、調停も辞さず」記事プラス「星野監督インタビュー」を1面で報じた2日後に記者にとっても衝撃的な出来事が起きた。「お前のとこは、何だってやるのか!」。その日、記者はナゴヤ球場で他社のベテラン記者から、こう怒鳴られた。原因は10月18日付の本紙1面見出し。「落合家チ●ポ丸出し放送」だった。

5/13(水) 11:00
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200513-01847961-tospoweb-base

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